ある日、私は友人とふたりで犬の訓練所に見学に行きました。
軽い気持ちでした。
訓練所の柵の中では、さりとて特色もない犬達が数匹、訓練を受けていました。
私の目には単なる「犬」としてしか映りませんでした。
ベンチに腰掛けて見学していると、訓練中の一匹がまっしぐらに私めがけて走って来ました。
驚きのあまり金縛りにあってると、訓練士さんに「怖いですか?」と聞かれました。
「・・・・はい・・・」と答える無知だった私。
辛い訓練期間中、「犬」は自分の飼い主が面会に来たのかと思って走り寄ってきたのに。
この時、ここで、この「犬」こそが、ラブラドール・レトリーバーだという犬種だという事を初めて知ったのでした。
その大きさに驚いたものの、その大きさゆえに魅力を感じました。
そして、子犬の出産を待つ事になりました。
1990年4月、まさに春爛漫のある日、私と叔母は小さな子犬を貰い受けに行きました。
車の助手席の叔母の膝の上で、タオルケットにくるまれて震えている小さな生き物。
それがイヴでした。
血統書なるものを見るのも初めての経験でした。
数世代にわたる祖先の名前が連ねてあるのです。
彼女の本名は「アフロディア・オブ・サウスカントリー」。
そこには輝かしい経歴の祖先が記されてありました。
東京にいた両親に毎晩のように電話を掛けては、イヴが今日はどうした、こうしたと報告しました。
両親は東京に住む二人の妹たちに、私のことをなんだかおかしくなったみたいねと話していたようです。
ようやく、彼らが帰ってくる気になったある日、専属運転手の私は空港まで出迎えに行きました。
もちろん小さなイヴを連れて。
私のことを笑っていた両親は、イヴを一目見るなり虜となってしまいました。
元来が犬好きの父は目を細めて喜びました。
イヴは、初めて対面する母の膝に、あたかも自分の指定席であるかのようにちょこんとのっかったのです。
この時以来、母とイヴは飼い主である私と主人を越えて、特別な関係が成立しました。
互いに会った瞬間からハートマークのネオンサインが頭上に浮かんだのです。
でも残念なことに、イヴを心から愛してくれた私の両親は、今は遠い世界の住人となってしまいました。
当時、ある団体に所属して精力的に活動していた主人は、帰りも遅かったのですが、それでも犬小屋にいるイヴと毎晩の再会を楽しみにしていました。
朝は私が起き出してくる気配を察知して、勝手口や玄関の戸からかわいい顔をして覗き込むのでした。
そうして2カ月にも満たない頃には、イヴはお座りや伏せが自由自在に出来るようになっていました。
4、5カ月頃だったでしょうか、突然、イヴが身体のあちこちを掻きむしって、血だらけになるという事件が起きました。
夏でもあり蚊を心配した私は、周りの反対を押し切って、イヴを家の中に迎え入れる決心をしたのです。
犬は外で飼うべき動物であり、家の中に入れるなどとんでもない事だったはずでした。
後日、父は我が家のソファでイヴを膝に抱いてご満悦のこととなるのですが、潔癖症の父は私の家に行くもんかとわめきました。
それでも私は禁断の掟に背きました。
なんだか楽しい予感がいっぱいしたのです。
でっかい犬が家の中をうろうろするなんて、ステキじゃありませんか?
しかし、イヴが家の中に入り込んでからと言うもの、私と主人にとって、難行苦行の日々が続くことになりました。
留守をすれば、精一杯の努力?をして、いたずらをやらかしてくれました。
壁の角はかじってくれる、壁紙は上手に剥がす、台所のものは目を離すと食べる、重く大きなソファさえ彼女の餌食となりました。
幾度、大工さんや家具屋さんのお世話になったことでしょうか。
心底参りもしましたが、一方、犬の賢さに妙に感心もしたのです。
物を置いている私達が悪いし、いたずらをしないように躾をしなかった私達が悪かったのですから。
結果、だんだんと家中の物は上の方に上がり、ずいぶんとすっきりしたインテリアの家となりました。
一方、彼女の信じられないくらいやさしい性格も私たち家族にとって、うれしい驚きでした。
家族数人で散歩すると、遅く歩いている母や叔母を、振り返り振り返り気にします。
イヴの娘犬、ナナが小さな甥に向かっていくと、飛んできて必ず間に立ちふさがり守ります。
彼女のこういった行動を一々挙げていたら切りがないほどです。
やんちゃな時期を過ごし美しい年頃になったイヴは、縁あって由緒正しいオス犬とゴールインしました。
英国王室由来(Sandringham Tramp)のラブラドールでした。
とある大きな精神科の病院に飼われている犬です。
名前はビル。
彼は患者さんとも交流があり、とても可愛がられていたようです。
ハンサムな黒いラブラドールでした。
後日、めでたく出産となり、その中の一匹の娘を我が家に残しました。それがナナです。
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